ゴールデンウィークに軽井沢へ行った。コテージのハウスに自分の家のブランケットを敷いたら、それまで落ち着きがなかったChérieが、ようやく休むようになった。匂いって大切だ。
夕飯を終えてコテージに戻った時間帯、20時を過ぎていた。
Chérieは玄関マットで寝ていた。帰りたいのだろうか。ハウスがあることを伝えて、中に入るよう促しても、入っても落ち着かずにすぐ出てきてしまう。
新しい場所、見知らぬ匂い、いつもと違う音。軽井沢の夜は静かで、その静けさが、逆に不安を増幅させるのかもしれない。
そこで自分は、自分の家で使っていたブランケットをハウスの中に敷いた。それは匂い付きのブランケット。自分の家、自分の寝床、そういう記憶が詰まったもの。
Chérieがそれに鼻を寄せた瞬間、状態が変わった。体が床に着いた。呼吸が整った。背中を預けるように、ブランケットの上で丸くなった。

匂いというのは環境情報の中で、最も原始的な信号なのかもしれない。
視覚や聴覚よりも遅れて脳に届く情報だけど、それが脳幹にまで達する。「ここは安全だ」という判定を一瞬で下す。
Chérieにとって、自分の家のブランケットの匂いは、「ここは自分のいた場所と地続きだ」という信号になった。新しい環境も、
その一点を起点に、初めて受け入れられる。人間も同じなのだと思う。
見知らぬホテルで眠れないのに、自分の枕を持ち込むと眠れるという話は、そういうことなのだろう。
この旅から戻って、Chérieがいつもより深く眠るようになった。自分も。
軽井沢の夜、あの静けさの中で、Chérieが落ち着く瞬間を見たことが、何か別のものを安定させたのかもしれない。
句いが定義するのは、場所ではなく、その時点での状態なのだ。
